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 2009年8月 旅行記から

 

26年の生涯 はあまりにも可愛そうな生涯なのです

  娘がいながら服毒自殺をしてしまう・・・そんな彼女の詩はなんとも暖かいものなのでしょうか?

「わたしと小鳥とすずと」は有名ですが・・・

童謡作家 金子みすゞ 

 長門市仙崎に大きな看板があります

 

 

MEMO0030.jpg『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

                                 (写真提供:金子みすゞ著作権保存会)

 

★金子みすゞのウンチク★   フリー百科事典参照
 
 
金子みすゞ金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。
生涯★
本名は金子テル。山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津高等学校)卒業。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(テルにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、正祐(雅輔)の養父・上山松蔵とテル(みすゞ)の母が再婚するため、二人は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係でもある。

大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。

1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する書店・上山文英堂の番頭格の男性と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は未完)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺する[1]。享年26歳。

 作品 ★
代表作に「わたしと小鳥とすずと」「大漁」などがある。

仙崎は古くから捕鯨で成り立っていた漁師の村であった。鯨に対する畏敬の念から鯨墓が存在する。金子みすゞは鯨の供養のために、鯨法会をする地域の慣わしに感銘し「鯨法会」という作品を書いている。自然ともに生き、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点とも言われ、「お魚」「大漁」などに繋がっている。

 忘却と再発見★ 
 
生家跡に建てられた金子みすゞ記念館金子みすゞの詩は長らく忘れられていたが、岩波文庫『日本童謡集』の「大漁」を読んだ児童文学者の矢崎節夫らの努力で遺稿集が発掘され、1984年に出版されるや、瞬く間に有名になった。現在では代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語教科書に採用されている。東京大学の国語の入試問題に採用された作品もある。また、このことをきっかけに地元長門でもみすゞの再評価が行われることとなり、みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館。みすゞが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されている。

また、長周新聞によると、かつて長周新聞の主幹であった福田正義が矢崎をはるかに遡る1937年、雑誌『話の関門』の中で金子みすゞの生涯と作品を紹介したとしている[2]。ただし、当時の福田の紹介は地元(下関)の雑誌で掲載されたものであり、後の矢崎の紹介ほど広く知らしめるには至らなかった。

 詩作の広まり ★
みすゞの詩は元々曲をつけられることを想定したものではなかったが、詩作への評価の広まりと共に、童謡・歌曲・合唱曲として中田喜直、吉岡しげ美、 李政美、沢知恵、野田淳子を初めとする作曲家や歌手によって広く作曲されている。西村直記、大西進のように、全ての詩に付曲した者もいる。2006年12月には「わたしと小鳥と鈴と」の詩に、作曲家の杉本竜一が曲を作り、テノール歌手新垣勉がアルバム「日本を歌う」内で発表している。この楽曲は、その年のNHK「みんなのうた」でも放送された。またピアニスト・作曲家の小原孝は、2006年、第17回奏楽堂日本歌曲コンクールにおいて「こぶとり~おはなしのうたの一」に作曲し、中田喜直賞を受賞。これを機会に「おはなしのうた」連作5編にすべて作曲している。数々のヒット歌謡の作曲家である浜圭介は、盟友大津あきらの墓所を訪れたことをきっかけにみすゞを知り、その壮大な世界観をフルオーケストラで表現したいと、8編に作曲。編曲・服部隆之、指揮・佐渡裕、演奏・新日本フィルハーモニー交響楽団、テノール・佐野成宏、ソプラノ・佐藤しのぶという豪華メンバーでのレコーディングを経て、CD「みすゞのうた―金子みすゞmeets浜圭介」(エイベックス・クラシックス)をリリースしている。

また、金子みすゞと同じ故郷山口県出身の歌手・作曲家ちひろは、金子みすゞの詩の50編近くに作曲し歌っており、「私と小鳥と鈴と」「星とたんぽぽ」は、歌集「さあ歌おう(山口県版)」に掲載される。CDアルバムも4枚リリースしている。


メディアへの露出としては、ラジオ大阪「1314 V-STATION」の携帯サイト「声優V-STATION」3分ラジオで2003年6月19日~2004年1月5日に金子みすゞの詩を朗読するプログラム「小森まなみのおやすみポエム」が公開され、後にCD化された。TBSラジオのミニ番組「童謡詩人・金子みすゞ」でも詩作の朗読が放送されていた。

また、みすゞの数奇な人生は後に映画・テレビドラマ・舞台などで演じられており、劇中で詩作が紹介されることも少なくない。

 みすゞを演じた人物★
小林綾子 - NHKスペシャル「こころの王国・童謡詩人金子みすゞの世界」(1995年8月27日)
田中美里 - 映画『みすゞ』(2001年、紀伊國屋書店制作、監督:五十嵐匠)
松たか子 - テレビドラマ『明るいほうへ明るいほうへ-童謡詩人金子みすゞ』(2001年8月27日、TBS)
高橋理恵子 - 舞台『私の金子みすゞ』(2002年・2004年、演劇集団 円、矢崎節夫著 「童謡詩人 金子みすゞの生涯」をもとに)
純名りさ - 舞台『みすゞとテルと母さまと』(2007年10月23日-25日、台本・総合演出:鈴木理雄、演出:小笠原響)
斉藤由貴・藤田朋子 - 舞台『空のかあさま』(2001年 - 、作:大薮郁子、演出:石井ふく子)
保谷果菜子-金子みすゞ いのちへのまなざし~詩と歌と物語~
小野山千鶴 - 舞台『金子みすゞ最期の写真館』(2005年 - 作 演出:早坂暁 音楽:磯村由紀子)
 著作権について★
金子みすゞの作品そのものの著作権は作者であるみすゞの死後50年を過ぎており消滅していると考えられるが(著作権の保護期間参照)、作品集を出版しているJULA出版局を窓口とする「金子みすゞ著作保存会」[3]は、みすゞ作品を利用する際には同会の許可を得るよう求めている。その理由としてJULA出版局は、著作の大半が生前未発表であったこと、ならびに未発表作品を一般に広めるきっかけとなった『金子みすゞ全集』(JULA出版局)による二次的著作権の存続を挙げている。このこともあり、みすゞ作品は青空文庫にも収録されていない[4]。 この点には、矢崎ら「金子みすゞ著作保存会」の姿勢に対して疑念を持つ者も存在し[要出典]、福田による紹介を取り上げた長周新聞も、著作を独占しているとして矢崎を記事内で批判している[5]。

 脚注 ★
1.^ カルモチンを服用したとされる(『金子みすヾ童謡集』内の矢崎節夫による解説)。
2.^ 『話の関門』を探し出そう参照。自殺当時のマスコミの扱いや遺族についても詳しい。
3.^ 「金子みすゞ著作保存会」には作品の紹介に貢献した矢崎の他に、みすゞの実子(娘)も関わっている。
4.^ 青空文庫公式サイトでは、「作者の死後、関係者の努力によって発掘された経緯を踏まえ、取り組むか否か検討中」としている。
5.^ 長周新聞の記事"『話の関門』を探し出そう"に記述あり。矢崎ではなく福田を第一発見者と主張する趣旨の記事だが、矢崎の姿勢そのものに対して「大きなもうけのため」としており、反資本主義的な見地からの批判を含んだ内容となっている。同紙の主幹だった福田は、日本共産党 (左派)を興して議長職を務めた経歴を持つ共産主義者であり、紙面の論調にもその影響が強くある。詳細は長周新聞の項を参照。


 

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