飛騨高山 白川郷の合掌造り集落  雪の中の写真撮影方法とは?

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 写真が多くて・・・

  管理整理に時間がかかりました・・・・

    2日間は、旅行の日程・タイムスケジュールしか紹介できませんでしたが・・

     今日は本番の紹介です

 

今年の、ライトアップは7日間となってます。

 予約の大型バスでの入場規正がありました・・・

   雪を待ち望み・・・待望の雪の白川郷となりました 

 

 

2010年2月6日(土)

飛騨高山 合掌造りの世界遺産 ライトアップの観光ツアーに参加しました

 

   温度はマイナス8度とのことで、日本海側は雪で大荒れ

     何か、本当に・・・・うれしい・・・・

 

        夕方に到着

        

            展望台に行く途中でパチリ・・・      

 

 

 

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    4時30分頃から食事をして、急いで展望台まで歩いていきました

     雪がふぶいていたのですが、ナイスポジションをゲット・・・

 

       おぉ・・・・・

         世界遺産   

            人間が生活してるそのままの世界遺産は

               唯一白川郷・五箇山の合掌造り集落だけだそうです

                  (世界遺産紹介のテレビで解説してましたょ)

 

     人も町もすべてが世界遺産・・・・ 

 

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陽が沈む時間帯

  真っ暗になる前に撮影 ・・・

    薄明かりで、幻想的な光景です・・・・

     雪の中に、合掌造りに家々・・・

        

       本当に展望台に登っても、少しの場所しか、合掌造りの集落は見えません

        

         できれば、ライトアアップになる前から場所取りが必要ですね・・

 

    吹雪に中、1時間は頑張って、シャッターチャンスを狙ってました

       

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ライトアップ

  深雪にかやぶき屋根・・・・

    いやぁ  ステキ・・・

 

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あぁあぁ・・・

  ほぼ、同じ位置からの撮影ですが・・・

    結構、風が吹くと・・・こんな感じになります・・・・ 

 

         雪が舞ってます・・・・・

 

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いつ頃建てられたのか


  合掌造りは江戸時代から建てられていました。

 

   デザイン面を重視してあのような形になったわけではなく、

 

        日々の生活をなるべく快適にするためにあのような形になっていったのです。


             合掌造りは歴史的に浅いように思えますが、

 

                それまでの日本人が培った技法と技術を用いて造られたハイテク家屋ともいえます。

 (岐阜新聞社文章参照)

 

DSC_0073.jpg

 

 何とも、絵本から出てきたような

     写真になりました

 

 

 

 

 

 

  急勾配の茅葺き屋根が特徴的な「合掌造り」の家屋には、

   厳しい自然環境に耐えながらも快適な生活を送ることができる知恵が詰まっています。

       屋根は雪が滑り落ちやすいように45度から60度になっており、

        適度な室内の換気のために茅葺きを用いています。

     

   その屋根が掌を合わせた形に似ているため、「合掌造り」と呼ばれています。


     釘は一切使わずに建てられ、釘の代わりには縄や若木を用いられました。

           それが結果的に巨大な屋根を柔軟に支えているのです。

 

   さらに、少しでも夏は涼しく冬は暖かく生活するために、

       窓は全て風通しを考慮して南北に面しています。

        こうした構造は住民の暮らしだけでなく、

          産業活動にとっても、欠かせない要素なのです。

 

       「合掌造り」が盛んに建てられた明治時代、この地域の主産業は養蚕でした。

         作業場を屋根裏に設け、1階の居住空間からの熱を利用することで、

             蚕を飼育しやすい環境にしていました。

 

       まさに「合掌造り」は環境と生活に配慮した家屋だといえるのです。 

                                            (岐阜新聞社文章参照)

 

 

 ガイドさんのお話ですが、

 昔昔・・・こちらの村では人口が増えるのを嫌い

         長男だけが嫁取りができたそうです(結婚できたそうです)

          次男・三男さんは結婚ができないそうです

           そのまま、下男のような生活となったそうです

        1つの家に、20人・・と大家族で生活をされてたとのこと・・・

  

 そぉなんだ???

   そこで、そのお話が事か?調べてみましたら、

     斎藤 英俊(筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)の研究に記載されてました

      ブログ下段のウンチクに「白川郷・五箇山地方の産業と社会制度」に詳細があります。

 

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 今日は、飛騨高山のハイライト写真の紹介です

 

ちなみに、フラッシュをたいたらこんな画像になってしまったのです・・・・

   降りしきる雪を、レンズがとらえたため・・・

 

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 そこで、ノンフラッシュ  フラッシュ禁止で撮影しました

  ルミックスの小さなデジカメでは上手に撮影ができませんでした

 

 できたら、三脚を使用したらいいです。

 露出時間が長いので、手ぶれがあります・・・

   ちなみに、今回は三脚ナシで頑張っちゃいました・・・・

 

ニコンd5000で撮影してきました・・

  まだ、操作が不慣れのため・・・残念なことが一杯ありますが

   一部の作品紹介です・・・

 

次回に、雪の高山訪問のアイテムとお知恵を紹介します・・・・

  勿論、お土産もね・・・

 

★ 白川郷のウンチク★ 

白川郷(しらかわごう)は、岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と旧荘川村(現高山市)に相当し、前者を「下白川郷」、後者を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の荻野地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区に選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産))に登録された。「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。

            フリー百科事典参照

  

★ 白川郷・五箇山の合掌造り集落のウンチク★

 白川郷・五箇山の合掌造り集落は、飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五個山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 

合掌造りは、江戸時代から始められた養蚕のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりと言われている。豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急な角度を持っている特徴的な茅葺屋根になったと考えられている。また、この家屋では養蚕のほか、硝石生産も行われた。

また、合掌造りの屋根はどの家屋も東西を向いている。これは、屋根に満遍なく日が当たるようにするため、集落の南北に細長い谷にあり、南北それぞれの方向から強い風が吹くので、風を受ける面積を少なくするためと言われている。

合掌造りを守る地域住民の連携形式の「結(ゆい)」により、補修や茅葺の葺き替えが30年 - 40年に一度は行われている。屋根の葺き替えには、多くの人手と時間(全て葺き替えるのに二日間はかかる)を要する。

白川と五箇山の集落地帯は、有数の豪雪地帯であることによって、周囲との道路整備が遅れたため、奇跡的に合掌造りの住居構造が残った。しかし、過疎化や住民の高齢化により、「結」の活動による、合掌造りの維持活動も限界となっている。

戦後は林野、水源開発の影響、産業の衰退、人口の都市部流出などもあって、多くの家屋が廃屋となった。特に後母衣ダム建設の際に、数多くの伝統建築が取り壊された。その後、伝統的な家屋形式を反故にしてはいけないと近隣住民を中心に資源保存の機運が高まることになる。その後、後述の重要伝統的建造物群保存地区選定を経、また世界遺産登録後、急激に観光客が増加している。近くを走っている高速道路(東海北陸自動車道)も飛騨トンネルの完成により2008年に全線開通しており、地域社会の生活と観光地化の狭間で、様々な問題も発生している。例として、現住建造物問わず心ない観光客が勝手に戸を開けるなど、住民のプライバシーを尊重しない重大なマナー違反等がある。

「白川郷」や「五箇山」と言われているのだが、細かく言うと白川郷の「荻町」と、五箇山の「相倉」、「菅沼」の三つの集落がある。荻町1976年に、相倉と菅沼は1994年に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。 なお、名義上「白川郷・五箇山の合掌造り集落」となっているが、世界遺産に登録されているのはこの3集落の合掌造りのみであり、他の集落のものについては世界遺産には登録されていない。

 

 

★世界遺産登録基準★

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
  • v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状況にある場合における、ある文化(または、複数の文化)を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例。 

フリー百科事典参照)

 

  

★ 講義5「世界遺産:白川郷・五箇山の合掌造り集落」

斎藤 英俊(筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)下記文面は抜粋参照

 

 

【白川郷・五箇山地方の産業と社会制度】

白川郷と五箇山地方の各集落には、近隣の家々で構成される「組」と呼ばれる江戸時代から続く生活上の互助組織があり、現在でも活動している。各「組」内では山道の草刈や水路の塵浚い、除雪、火災予防の夜回り、神社の出役などの、季節季節の、あるいは日常の作業を共同で行い、または順番で当番を出して互いに助け合っている。また、冠婚葬祭や家屋の普請、茅葺き屋根の葺き替え時などにはコーリャク(合力)やユイ(結い)と呼ばれる相互扶助の伝統的な習慣があるが、これも「組」を単位として行われている。

このような社会制度が生まれ、維持されてきたのは、厳しい自然条件下の、生産性の低い山間の土地で生きるためには、相互扶助が不可欠であったからであるが、その背景には同じ浄土真宗の信仰による精神的な強い結び付きがあったことも指摘されなければならない。

なお、白川郷と五箇山地方のいくつかの集落では、かっては10数人から30人数に及ぶ一族が1軒の家屋に住む大家族制度が存在した。この制度は、家長夫妻とその弟姉妹及び結婚した姉妹の子供、家長の長男夫婦とその弟姉妹などが分家しないで数世代に亙って共同生活を営むもので、日本ではこの地方独特の制度として学術的にも注目されたが、現在では消滅している。白川郷と五箇山地方の中でも耕作地の少ない、より条件の厳しい集落にみられた制度であった。

 

 

【合掌造りとは】

「合掌造り」とは、「小屋内を積極的に利用するために、叉首構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋」のことで、日本の他の地域にはみられない、白川郷と五箇山地方のみに存在する大変特色のある民家の形式である。小屋が叉首(サス、「ガッショウ」とも呼ばれる)による構造となっていること、あるいは、屋根が両手を合わせたような形になっていることから、合掌造りと呼ばれるようになったと考えられる。

「叉首構造」とは、頂部で緊結した2本の材(叉首)をΛ形に開いて造る小屋構造をいう。叉首の下端は細く尖っていて、桁の上に渡された叉首台(「ウスバリ」と呼ばれる)の両端にあけられた窪みに差してあるだけである。日本の民家の小屋組は、梁と束を使って組み上げ、その上に棟木・母屋を渡し、垂木を架ける構造が主流であるが、叉首構造も日本の各地に一般的に見られる構造といえる。束を立てる構造の場合には多くは板葺きか瓦葺き屋根となるが、叉首構造の場合には茅葺き屋根となる。

束を立てる構造に較べ、叉首構造は屋根を急勾配にすることができるので、積雪などによって生じる屋根面を撓ませる力は小さくなり、白川郷や五箇山地方の湿って重たい雪にも耐えることができるのである。叉首構造の屋根の勾配は、一般的には45度前後であるが、この地方の場合だけ特に60度に近い急な角度になっている。このほうが構造上有利であり、また、雪降ろしも楽になるといえよう。

叉首構造では小屋内に束が立たないので、小屋の内部を広く使うことができるのだが、日本各地の叉首構造の民家では、小屋裏はせいぜい物置にしか使われていなかった。ところが、合掌造り民家では小屋内を2層、3層に造り、養蚕のための場所として積極的に利用していた。これはこの地方だけの特色である。ところで、叉首構造の場合には、棟方向に働く力には弱いという欠点がある。そのため、叉首構造の民家はどの地方でも屋根を寄棟造りか入母屋造りにしてこの欠点を補っているしかし、小屋内で養蚕を行うためには

3 セッションII 講義5

採光や通風が必要であり、そのため屋根を切妻造りとして、妻面に窓を開けなければならない。この対立する問題に対し、屋根野地面にハガイと呼ぶ大小数組の筋違いを襷に入れることで、切妻造りの構造上の欠点を解決している。これは合掌造りだけにしかみられないたいへんユニークな工夫で、この結果、茅葺・叉首構造で切妻造りという全国どこにもない形態が出現したのである。

合掌造りの桁から下の軸部は専門の大工によって造られるが、桁から上の小屋組は集落の人たちによるユイで造られる。これは現金収入の少なかった山村で、なるべく現金を使わないで家を建てるための智恵である。屋根の茅をユイで葺き替えるのも同じ理由である。このほかにも、合掌造り家屋には、気候風土や山間の村での生活に適合したいろいろな工夫が凝らされている。

同じ合掌造り家屋でも、白川郷と五箇山では屋内の土間の取り方や入口の取付き位置が異なり、妻に庇を付ける五箇山に対して付けない白川郷など、地域によるいくつかの相違点も見られる。

合掌造り家屋は、もともとそれほど多く建てられたものではないが、特に戦後の経済発展と生活の近代化の中で、その数は急激に減少し、集落のなかに残されている合掌造り家屋は現在では極めて少数となり、1棟1棟が大変貴重な存在となっている。白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋は、最も発達した合理的な民家形式の1つであり、また、特色のある合掌造り家屋群を中心とする農村景観は世界的に価値のある貴重な文化遺産と評価されている

 

荻町集落】

荻町は戸数152戸の集落である。明治9年(1876)の記録によると、当時、荻町99戸(現在の戸ヶ野集落を含む)で、白川村23集落の中では最大の集落であった。

 

 

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このページは、ルンルンが2010年2月 8日 17:09に書いたブログ記事です。

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