熱海 大観荘の夕餉には、芸妓さんがきます
コンパニオンの年もありましたが、昔ながらの芸妓さんの踊りが披露されます
※「芸者」 にはいろいろな呼び名があるそうです。
関東では「芸妓」「芸者」など、関西では「芸子」と呼ぶそうです。
現在熱海では約250名の芸者さんが活躍されてます。
この250人はダントツに多いのです。
全国で活躍されてる芸者さんのなんと、10パーセント・1割位にあたるそうです
すごいな・・・熱海芸妓さん
たしかに、今年の熱海は活気を感じました・・・
数年前には老舗の旅館がなくなり、リゾートホてる・リゾートマンションに衣替えをしてるさなか
今年は、新しいビルも増えて、人の往来も多くなっていました・・・ね
お座敷の紹介
大観荘のリニューアルした、舞台で踊りが披露されます。
管理人は昨日のブログ紹介の食事を、美味しく食べながら・・・拍手をしながらね・・・
黒留袖のお姉さんがいますが、中にお一人だけ日本髪姿で着物の裾を床まで伸ばしてる芸妓さん
正式には、引き着と呼びます
※引き着は芸者・芸妓さんの正装なのです※
引き着とは、結婚式に着る留袖の裾が長い着物のことです。
仕立てには、普通の着物の三倍の反物を使うそうです。
丈に反物の長さがいることと、表地の下にもう一枚使ってます。
二枚仕立てにするので反物が多く必要とします。
足にからまないように裾に綿が入っていて、重しのようになってます。
留袖でも黒留袖が芸者の正装です。(一般の私達の生活でも第一正装が黒留袖です・未婚の人は色留袖を着用します)
正月とかお目出度い席、結婚祝い、会社の創立パーティ等に着て、裾を引いて、踊ったりします。
「裾引き」といって、「おはしょり」をしないで着る芸者特有の着方である。
引き着は自前なのです。仕立ても値段が張るのです。(通常の着物は、レンタルする場合ももあるそうですが・・、この引き着は自前が前提だそうです)
着物の紋は、染め抜きの五つ紋が礼装の紋。背中の中央と、両袖、両胸の五つ。
(三つ紋とか一つ紋は略式の紋です。色留袖は三つ紋・訪問着は一つ紋)
※引き着は色っぽい※
何かと踊りやらお酌やらと・・立ったり座ったりとよくお座敷きを歩いてるお姉さんなのですが・・・
なんと、色っぽく艶やかなお姿なのでしょうか??
裾が開いてしまうと、行灯(あんどん)になってしまいます・・・想像してみたら??ぁぁ
裾が細く入って、美しい脚の線が出て、腰がキューッと締まって、
裾つぼまりになっていくと、きれいな柳腰になる。→柳腰ですよ・・・



毎年 笑顔でお座敷に来てくださいます
お若いのに、かなりの芸暦の持ち主です・・・・
自前のお着物も豪華で艶やかです・・・
今年も、良いとしてありますようにね・・・・
お姉さんも、勿論ステキなのですが
さすがに特別注文のお着物 「宝尽くし」の柄がなんと、おめでたい・・
基本的に管理人は「宝尽くし」の柄が、何故か大好きなのです。・・
着物・襦袢・帯・・・等 持ってますが・・・
実に、イイのです・・・
友禅の染がまたまたお洒落なのです。
表の黒と裾に広がる・・・宝の柄がちりばめられ・・・
裾回し・八掛けなども、共柄の染で仕立ててあります・・・・
襟元は黒に塩瀬の白い半襟がでて、
ちらりと襟元から朱の襦袢の襟がチラリ・・・
何と色っぽいね・・・ぇ 女の管理人も惚れ惚れしてしまいますょ
帯は広帯の全通です。
全部に柄が織りこんであるのです・・・・
一般的な帯は、六通・八通など、帯を巻くとき下になる部分には織りこみの柄がなくなってます
黒・白・金そこに朱の帯揚げや襦袢の朱が、なんと艶やか・・・
日本の美です・・・

お姉さんに了解を得てパチリ・・・
きれいだな・・・・
お顔が、昨年よりも優しくなったような気がします・・
いいこと、あったのかな?

後姿も、パチリ・・・
自分で、お着物も、日本髪のカツラも仕上げるそうです・・・
すごい・・・・
ちょっと、豆知識を頂きましたので紹介します
下の画像の、右の緑丸のなかのかんざしは「白鳩に稲穂」
下の画像の、左のピンク丸のなかのかんざしは「干支の虎の人形」

衿元(えりもと)は、半襟は塩瀬(しおせ)の白を使います。色物は使わないのです。
衿はシンを固くして、衿元のV字型をふだんのときよりも広くして、沢山でるようにします。 それから、衿あしを大きく開けること。(下の画像を参考に)
アップにしますよ・・・
「稲穂のかんざし」は、1月15日まで差します。
「稲穂のかんざし」芸妓さんは左に、舞妓さんは右に挿すのです。
京都の舞妓さんも観察してみてね・・・
お正月の、お祝いを記して・・・
この、 「稲穂のかんざし」をしたときには、帯に扇を少し広げてさします
(下記のようにね・・・)
ちなみに、この帯が柳帯→柳腰となります
※ 解けそうで解けない柳帯※
結び方は柳結びで、芸者・芸妓特有のものです。
帯の垂れ先を残して結び、いまにも解けそうで解けない形が艶っぽい感じを出しているのが特徴。
たれというのは、帯を巻き終わったあと、お太鼓の下にくる部分のこと。
柳結びの場合、歩くたびに帯が柳のように揺れて、その後ろ姿がなんとなく色っぽい。
柳結びは、帯締めを使わないで帯だけで結ぶのです。腰骨にかかるところで止めて結び、その締め加減がむずかしいそうです。
★熱海芸妓(あたみげいぎ)ウンチク★
●芸者・芸妓●芸者は、踊りや三味線などの日本の伝統芸能で宴を盛り上げるプロです。ほどんとの芸者がこれを生業とし、アルバイト感覚ではありません。一人前になるには当然厳しいお稽古をつみます。
芸者にはいろいろな呼び名があり、関東では「芸妓」「芸者」など、関西では「芸子」と呼びます。修行中の芸者は「半玉(はんぎょく)」と呼ばれ、京都では「舞妓」と言われます。
芸者の世界は「花柳界(かりゅうかい)」と呼ばれ、これは柳緑花紅からあでやかな世界を意味しています。
●熱海芸妓・芸妓見番●熱海は全国でも屈指の芸者街。ほとんどの芸者は派遣業社に相当する「置屋(おきや)」に属しています。現在熱海には少なくとも100を超える「置屋」があり、250名余りの芸者が活躍しています。
全国に2,800人と言われる芸者の約1割強が熱海にいるわけですから、文字通り熱海は「日本一の芸者街」と言っても過言ではないでしょう。
<芸妓組合の沿革>
明治10年、阪東三代吉師は樋口ろく遊芸師として熱海浜町に居住して、宿屋にご滞在のお客様に稽古の相手をしていました。
長唄は杵屋、踊りは阪東流で岩倉具視さんのお墨付き。明治43年には三代吉師の功労記念碑を明治の豪商・公爵・侯爵の上流社会の方々が、大乗寺の山門の所に等身大の碑を建てたとの事。今では跡形もありませんが、芸妓の祖である三代吉師の菩提寺であるので、平成4年に芸妓組合が撥扇塚(はっせんづか)を建立しました。この塚は、使い古した道具(扇子・三味線・糸・撥など)を、毎年4月20日にお焚き上げ供養し(撥扇塚供養祭)、芸事精進を祈願します。
大正元年に三代吉師の後継者である喜久さん遊芸師の妹である「若椙はな」は「春の家お花」として遊芸師となりました。この頃は芸妓としては認めず、遊芸師でなくては宿屋に出入りは許されませんでした。芸妓と呼ばれるようになったのは、昭和7年熱海芸妓組合設立になってからです。芸妓、元遊芸師は、大正7年頃27~28名で、昭和11年に195名になりました。
昭和25年に熱海大火があり、置屋も大分焼け出されました。それを機に、熱海の街並みも随分変わり、現在の組合になるまでは転々と事務所を移しました。昭和29年に現在の組合の建物が完成し、4月1日・2日の二日間落成を祝いました。当時としては立派な建物で、東海一の芸妓組合と言われました。平成2年には永年念願だった「熱海をどり」が開演され、その開期は毎年4月28日・29日と決められました。
熱海市では現在、この「熱海芸妓」を熱海の代表文化であると捉え、積極的に内外にアピールしています。平成10年6月からは、「芸妓見番ぶらり―湯めまちをどり華の舞―」と称して、芸妓見番(置屋の組合)を公開。熱海の伝統芸能を身近に目の前で観賞頂けます。
芸者の踊りを見た後は、芸者との会話や、記念写真撮影もお楽しみ頂けます。
●お座敷遊び●お座敷(ご宴会の席)に芸者を呼ぶというのは、いつの時代でも"粋な遊び"のひとつ。最近では、ご家族旅行に芸者を呼ぶ方も増えています。おいしいお食事を頂きながら、芸者との会話を楽しむ、というのも、温泉と文化の街・熱海ならでは。昨今は大きな宴席が減り、「とらとらとら」等お座敷遊びをご存知ない方が多いと思われますが、ご心配なく。芸者と一緒に明治大正時代から続く"粋"な日本の伝統文化を楽しみましょう。
ここで、芸者を宿に呼ぶ手順をご紹介しましょう。次回のお座敷にはぜひ熱海芸妓に声をお掛け下さいませ。
1.宿へ宿泊の予約をする。
2.宿へ、芸者を呼びたい旨を伝える。呼びたい人数・時間・希望の芸者(踊りの出来る子、落ち着いた子など)についても伝えて下さい。
3.宿が置屋・芸妓見番へ電話を入れ、派遣の要請をする。
人気のある芸者は1ヶ月以上前から予約が入っています。お早めに宿にご連絡下されば、ご希望に添った芸者を呼べる確率が高くなります。
●玉代・花代●玉代(ぎょくだい)とは、芸者に対してお客様にお支払い頂く料金のことを言います。花代(はなだい)とも言います。直接芸者に支払うのではなく、宿の明細に組み込まれて、ご宿泊代と一緒のご請求となります。花代は宿によって異なりますのでご注意下さい。(料金については各宿へお問合せ下さいませ)
芸者の世界では、時間を「本(ほん)」で数えます。「1本(いっぽん)」とは30分のこと。「一座敷(ひとざしき)」は2時間ですので、本数にすると「4本(よんほん)」となります。ご延長は30分単位です。(「6本」といえば3時間のことです)
その他、芸妓用語をご紹介します。
置屋(おきや) 芸者が所属するエージェントのこと。熱海には約100あります。
見番(けんばん) 置屋の組合のこと。
一本さん(いっぽんさん) 大人の芸者。
半玉さん(はんぎょくさん) 芸者の玉子。
玉代(ぎょくだい) 芸者を呼んで遊ぶご料金。花代、線香代とも言う。
お座敷(おざしき) 芸者さんが招かれる宴席。
こま 少人数のお客様のお座敷。
立ち方(たちかた) 踊り手の芸者。
地方(じかた) 三味線や太鼓の演奏、唄をうたう芸者。別料金。
1本(いっぽん) 芸者30分の玉代。
(熱海芸妓HPより
★芸妓ウンチク★
芸妓(げいぎ)とは、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。
江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになった。京都では以前同様に芸子とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする正統派の芸者は売春を行うことはない。地方の温泉地等には一般にコンパニオンと呼ばれる派遣の芸妓などが存在し、また俗に枕芸者と呼ばれるものも一部に残っている。
呼名・異称・用字にはさまざまなものがある。下記「名称」の項目を参照のこと。
名称
芸妓は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった(本稿ではこの呼名を用いる)。
芸妓は多くの場合、一人前の芸妓と見習とに区別されており、それぞれの名称が地域によって異なる。
芸妓を「芸妓(げいこ)」、見習を「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。山形、石川などでもこの呼名が行われる。
芸妓を「芸者」、見習を「半玉(はんぎょく)」・「雛妓(おしゃく)」などと呼ぶ。
制度
芸妓は通常、置屋に籍を置く。置屋はあくまで芸妓の抱元(タレントでいう所属事務所)であり、客を遊ばせる場所ではない。
江戸時代には、待合茶屋にあがった客が、茶屋を通して芸妓に指名を掛け(これを「何某を呼ぶ」または「何某を知らせる」という)、揚屋で実際に遊ぶことが一般であった。ただし上方(かみがた)では茶屋と揚屋がひとつになっていて置屋が直接に指名を受ける場合が多く、江戸でも料亭や船宿が直接置屋に指名をかけ、場所を移動せずに遊ぶこともあった。当時、芸妓は遊郭で遊女が来るまでの場つなぎとして呼ばれることが多く、この点が明治以降とはかなり違う。
現在では揚屋はほぼどの土地にも存在しない。その代わりに検番をおいて置屋のとりまとめを行い、芸妓や幇間の大半はこれに所属している。茶屋(または揚屋)にあがった客は、店を介して検番に声をかけ、芸妓を知らせるのである。また、検番では、芸妓の教育をもまとめて行っている場合が多い。
利用法
通常、客は宴席を設ける料理屋にその旨を伝え、予算や希望に応じて料理屋が芸妓の手配をしてくれる。無論、指名も可能である。また、馴染みになれば直接お茶屋・置屋に芸妓を手配し、酒席に呼ぶことができる。通常、芸妓の手配や出入りができる料理屋は決まっており、どこでも呼べるわけではないので注意が必要である(料亭の項を参照)。
しかし最近では様々な緩和により加盟店以外の出入りも見受けられる(その場合、割り増しや各種の条件がつく場合もある)。
当日その場でも空きがあれば手配も可能だが通常はあまりそのようなことはしない。
その料金のことを、関東では「玉代(ぎょくだい)」または「線香代」、近畿では「花代(はなだい)」などと呼ぶ。「線香代」というのは、時計のないころに線香1本が燃え尽きるまでの時間の料金だったからという。このほかに祝儀(ご祝儀)と呼ばれる一種のチップのようなものも必要となる。
芸妓の料金の支払い方法は、使用した料理屋等からの請求で飲食の代金とあわせて来るのでその際に一括して支払う。
役割:立方と地方
芸妓には大まかに立方と地方との2種がある(京都でいう舞妓・芸子の別は、職掌としては、ほぼこの立方・地方の別に等しい)。
立方(たちかた)
舞踊を主にする者
地方(じかた)
長唄や清元などの唄、語りや三味線や鳴物の演奏をうけもつ者
地方となるにはそれなりの修練が必要であり、通常は立方を卒業した姉芸妓が地方に廻る。そのほか、芸妓には素養としてひととおりの音曲、茶道などの修行が求められることが多い。このような事情から、昭和年間前半(1930~50年代)には、芸妓出身の女性歌手が輩出した。小唄勝太郎、市丸などが有名で、「うぐいす芸者」と称されていた。
娼妓との区別
芸妓はあくまでも芸を売って座の取持ちを行うのがその勤めである。しかし、江戸時代以来、芸妓もその他の遊女と同様、前借金を抱えた年季奉公であり、過去の花街は人身売買や売春の温床となっていた。誰でも構わず身を売ることは「不見転(みずてん)」として戒められたが、第二次世界大戦後までこうした不見転はほぼどこの土地でも見られ、置屋も積極的にこれを勧めることが多かった。
しかし、あくまで芸妓は遊女とは区別され、一流の芸妓は「芸は売っても体は売らぬ」心意気を持ち、決まった旦那に尽くし、その見返りに金銭が報われるというのがその建前になっていた。むろん、こうした実態を嫌い、芸妓は客の自由にならぬものという気概を貫きとおし、一生涯旦那を持たない名妓も多くいた。なんの自由も無いと考えられがちである芸妓だが、恋愛の自由は昔からかなり認められていたようだ。
自らの芸によって生活する芸妓は、明治以降一種のあこがれの存在としてとらえられることも多く、雑誌で人気投票が行われたり、絵葉書が好評を博したこともあった。
現状
かつて日本全国に多くの花街(花柳界)があり、芸妓も多数いた。第二次世界大戦以後は、児童福祉法の制定によって子どもの頃から仕込むことが困難になり、娯楽と接客の多様化により花柳界も衰退し、芸妓の数は減り続けた。後継者不足のため、花街側は頭を抱えている状況だが、山形や秋田では会社制度に転換したりして後継者を育成し続けている。旦那制度はほぼ無しに近い状態で、芸妓一人一人自前で着物などを用意する。 また、2007年12月19日に浅草において日本初の外国人芸者紗幸がデビュー。後継者育成を重視し、妹の募集をはじめた。(フリー百科事典参照)